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東京地方裁判所 平成7年(ワ)236号 判決 1996年1月19日

原告 上田哲

被告 国

代理人 廣谷章雄 倉部誠 安田錦治郎 浜秀樹 信太勲 ほか三名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成七年二月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、衆議院議員であった原告が、「国政における重要問題に関する国民投票法案」と題する法律案(以下「本件法律案」という。)を衆議院事務局に提出したところ、同事務局が、衆議院においては議員による法律案の提出にはその所属会派の機関承認を必要とするという先例が存在するとして、本件法律案の提出に当たって原告の所属する会派の機関承認を得ていないことを理由に、受理法律案としての取扱いをしなかったことは違法であり、その結果原告が損害を被ったと主張して、被告に対し、国家賠償法に基づく損害賠償請求として、一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成七年二月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

主な争点は、本件訴えの適法性及び衆議院事務局が本件法律案を受理しなかったことについての違法性の存否である。

二  争いのない事実等

1  原告は、平成二年二月一八日の衆議院議員総選挙において当選し、平成五年六月一八日に衆議院が解散されるまで、衆議院議員の地位にあった者である。

被告は、立法機関として、衆議院及び参議院の両院で構成される国会を設置している。

2  原告は、平成五年六月一四日、衆議院議員九二名の賛成者及びそのほか二名の提出者と連署して、本件法律案を衆議院事務局議案課に提出した。

3  衆議院事務局は本件法律案を事実上預かったが、受理法律案としての取扱いをせずにいたところ、平成五年六月一八日衆議院が解散されたため、本件法律案は国会の審議手続に付される機会がなく終わった。

4  原告は、平成五年七月一日付で、衆議院事務総長緒方信一郎に対して、本件法律案を受理しなかったこと等につき公開質問状を出した。これに対し、同事務総長は、同月一三日付の回答書において、衆議院においては法律案の提出には所属会派の機関承認を必要とし、右機関承認のない法律案は受理できないという確立された先例が存在する旨述べた(<証拠略>)。

三  争点

1  本件訴えの適法性の存否

(被告の主張)

法律案を含めた議案等の提出手続は議事手続の一部であり、議院の議事運営に関する事項であって、憲法で認められた議院の自律権の範囲内の事項であるから、衆議院事務局が本件法律案について受理法律案としての取扱いをしなかったことの適否は裁判所の司法審査の対象とはならない。本件訴えは、実質的に、裁判所の審査権が及ばない衆議院における法律案の受理手続の適否を対象としているから、法律上の争訟に該当しないものであり、不適法として却下されるべきである。

(原告の主張)

本件が議院の自律権の範囲内の問題であるか否かは別論として、本件のような国家賠償請求訴訟すなわち民事裁判は、衆議院の公法関係上の行為について、直接それ自体の有効・無効の判断を求めるものではない。したがって、たとえ自律権の範囲に属する事項の合法・違法が争点となるとしても、損害賠償請求権の存否という訴訟物との関係においては、司法審査の対象になり得るというべきである。また、議員の提出にかかる法律案の受理手続は、議員の法律案の発議権の行使の過程において必ず通過しなければならない手続であって、発議権と直接的に法的関係を有するところ、原告はかかる受理手続において衆議院事務局によって議員としての法律案の発議権を侵害されたのであるから、被告国との間において裁判により解決すべき具体的な法律上の争訟が存在しているとみるのが妥当であり、本件訴えは適法である。

2  衆議院事務局が本件法律案を受理しなかったことの違法性の存否

(原告の主張)

(一) 国会議員は立法に携わることがその基本的な使命であり、法律案の発議権の行使は議員本来の職務である。国会法及び衆議院規則は、議員が法律案を発議するには、議員二〇人以上(予算を伴う法律案にあっては五〇人以上)の賛成を要すると規定するだけで(国会法第五六条第一項、衆議院規則第二八条第一項)、所属会派の機関承認や国会対策委員長の承認を要件としていない。したがって、議員が法律案を発議する場合の受理手続について、国会法及び衆議院規則に規定された要件のほかに、当該議員の所属会派の機関承認を求めることは許されないし、そのような取扱いは先例ではない。

したがって、衆議院事務局が、国会法及び衆議院規則上の発議の要件をすべて充たした本件法律案の提出を、所属会派の機関承認がないことを理由に受理しなかったことは、明白な違法行為であり、違憲の行為である。

(二) 議院の自律権は、行政権及び司法権に対する制度的な優越性から保障されているものではなく、国政の最も効率的な運営を図るためにこそ認められているものであり、本件のような明白な違法行為について、議院の自律権を理由に司法審査できないとすることは、自律権の本来の趣旨から逸脱するものである。

また、本件は、提出された法律案の受理といういわば事務的な手続の過程において議員の法律案の発議権が侵害された事案であるが、立法機関である国会の構成員としての議員による法律案の発議が事務機関によって侵害されることが許されるとすれば、国民の選挙権自体もその存在意義を失いかねない。

とすれば、本件事案を自律権の問題と称することは自律権の濫用であり、濫用的な自律権は保護に値しないから、裁判所が本件法律案の衆議院における取扱いについて審査することは、議院の自律権に抵触するものではないと解すべきである。

(三) 原告は、政治家としての信念を貫くために本件法律案の作成と発議に邁進したが、衆議院事務局の違憲・違法な受理拒絶によってこれが妨げられたものであり、この受理拒絶により衆議院議員という公職にあった原告が被った精神的損害は少なくとも一〇〇万円を下らない。

(被告の主張)

(一) 前記のとおり、法律案の提出及びその受理を含む衆議院の議事運営に関する事項は、憲法で同議院に認められた自律権の範囲内の事項であり、司法審査の対象とはならない。

議院の自律権は、権力分立の原理の一つの現れであり、国会を構成する衆・参両議院が、その組織、運営その他議院の内部事項について、外部から干渉されることなく自主的に決定し、自ら紀律を維持する権能である。本件では、衆議院における法律案の受理手続が問題とされているが、かかる事項が衆議院に認められた自律権に含まれることは、憲法第五八条第二項本文前段からみて明らかである。

(二) 仮に本件受理手続の適否に司法審査が及ぶとすれば、裁判所は、衆議院における法律案の受理要件に関し、国会法や衆議院規則の条項の解釈及びこれら法規を補完する先例の内容や効力についても審理、判断することが必要となる。しかし、議事手続の決定権、ひいては先例を含む規則の解釈権自体も各議院が有しており、疑義がある場合は議長が自らの判断ないしは議院に諮って決するから(衆議院規則第二五八条参照)、裁判所が本件のような受理手続の適否について独自の判断を下すことは、議院の自律権に抵触する。

(三) したがって、仮に本件請求が損害賠償請求すなわち金銭の給付を求める請求であり、議事手続の適否の問題はその前提問題にすぎないとして、訴えの適法性が肯定されるとしても、裁判所はその前提問題について違法であるとの判断をすることができず、結局、本件では国家賠償法第一条第一項にいう「違法」が認められないことになるから、本件請求は棄却を免れない。

第三争点に対する判断

一  まず、本件訴えの適法性の存否(争点1)について判断する。

本件請求は、衆議院議員であった原告が、本件法律案を衆議院事務局に提出したところ、同事務局が、原告が所属する会派の機関承認を得ていないことを理由に、受理法律案としての取扱いをしなかったことは違法であり、その結果原告が精神的損害を被ったと主張して、国家賠償法に基づく損害賠償請求として、被告に対し、一〇〇万円及び民法所定の遅延損害金の支払を求めるものであるから、本件における審判の対象が、右損害賠償請求権の存否という原・被告間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であることは明らかであるが、本件請求の当否を決するためには、前提問題として、本件における衆議院事務局の行為が国家賠償法上違法と評価される行為といえるかの判断をしなければならない。そして、被告は、この点をとらえて、右違法性の存否を裁判所が判断することが議院の自律権に抵触して許されず、本件訴えは「法律上の争訟」に当たらないから不適法であると主張する。

そこで検討するに、裁判所がその固有の権限に基づいて審判することができる対象すなわち裁判所法第三条にいう「法律上の争訟」といえるためには、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であることのほかに、それが法令の適用により終局的に解決できることを要するものと解されるのであって、前者の要件を満たしている場合であっても、後者の要件を満たさないとき、すなわち、形の上では当事者間の具体的権利義務ないし法律関係の存否をめぐる紛争ではあるが、訴訟物たる権利義務ないし法律関係の存否の前提問題として判断せざるを得ない争点が、その問題の特殊性から、裁判所の審判に親しまないため、結局紛争全体が法令の適用によって終局的に解決するに適しない場合には、「法律上の争訟」に当たらないものと解するのが相当である。したがって、たとえば、訴訟物たる権利義務ないし法律関係の存否の前提問題が、高度に政治性のある行為の当否の判断を要する場合や、自律的な法規範を有する社会ないし団体の純然たる内部規律の問題として当該社会ないし団体の自治的措置に委ねられるべき場合、さらには、宗教団体内部の紛争を解決する前提として、裁判所が当該宗教団体の教義、信仰の内容に立ち入ってその当否を判断することが必要不可欠であるが、その点について判断することが国家の宗教上の教義、信仰に対する中立ないし不干渉の原則に抵触する結果となるような場合には、結局紛争全体が法令の適用によって終局的に解決するに適しないものとして、「法律上の争訟」に当たらないものとされているのである。しかし、本件では、衆議院事務局が本件法律案について受理法律案の取扱いをしなかったことの違法性の存否が本件請求の前提問題として争われており、この点については、後に判断するように、権力分立の原理から導かれる議院の自律権の範囲内の事項として、裁判所としては合法・違法の判断を差し控えるべきものと解されるけれども、それは当該議院の自律的判断を尊重しそれを前提に請求の当否の判断をすれば足りるということであって、紛争全体が右にみたような意味において法令の適用によって終局的に解決するに適しない場合に当たるとまではいえないのである。

したがって、本件訴えは裁判所法第三条にいう「法律上の争訟」に当たるものというべきであるから、本件訴えが不適法であるという被告の主張は採用することができない。

二  次に、衆議院事務局が本件法律案を受理しなかったことの違法性の存否(争点2)について判断する。

1  被告は、裁判所が本件のような議院における議案の受理手続の適否について独自の判断を下すことは、議院の自律権に抵触するから、衆議院事務局の本件行為について裁判所が違法と判断することはできないと主張する。そこでまず、衆議院事務局の本件行為について裁判所がその合法・違法を判断することと議院の自律権との関係について検討する。

憲法は、立法権を衆・参両議院をもって構成される国会に(第四一条、第四二条)、行政権を内閣に(第六五条)、司法権を裁判所に(第七六条)それぞれ帰属させ、権力分立の原理に立つことを明らかにしている。議院の自律権は、この権力分立の原理から導かれるものであり、国会を構成する衆・参両議院が、その組織、運営その他議院の内部事項について、他の国家機関から干渉、介入されることなく自主的に決定し、自ら規律する権能をいうものである。憲法が各議院について規則制定権、議員懲罰権(第五八条第二項)、議院の役員選任権(同条第一項)、議員の資格に関する争訟の裁判権(第五五条)を規定しているのは、議院の自律権を認める趣旨に出たものであり、議員のいわゆる不逮捕特権(第五〇条)及び免責特権(第五一条)もその観点から理解することができる。国会法も、憲法の規定を受けて、議事運営における各議院の自主的な決定権を広範囲に認め(第五五条以下)、議院の秩序及び紀律維持について、議長の内部警察権(第一一四条)及び会議紀律保持権(第一一六条)を認めるなど、各議院の自律権確保を図っている。

議院の自律権が認められる右のような趣旨に照らすと、議院がその自律権の範囲内に属する事項についてした判断については、他の国家機関がこれに干渉し、介入することは許されず、当該議院の自主性を尊重すべきものと解するのが相当である。当事者間の具体的権利義務ないし法律関係の存否をめぐる訴訟の前提問題として議院における法律の議決の有効・無効が争われた事案につき、最高裁判所が、当該法律が「両院において議決を経たものとされ適法な手続によって公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法所定の議事手続に関する所論のような事実を審理してその有効無効を判断すべきでない」と判示したのは(昭和三七年三月七日大法廷判決・民集一六巻三号四四五頁参照)、まさにこの趣旨にほかならず、この理は、議院における法律案の受理手続の合法・違法が争われている本件には、より一層妥当するものというべきである。

しかして、当事者間の具体的権利義務ないし法律関係を訴訟物とする訴訟の前提問題として、議院の自律権の範囲内に属する議事手続の合法・違法ないしその有効性が争点となっている本件のような場合においては、裁判所は、右争点の判断をするに当たり、その点に関する当該議院の自律的判断を尊重すべきであり、右自律的判断を前提として請求の当否の判断をすれば足りるものというべきである。

本件においては、衆議院事務局が本件法律案について受理法律案としての取扱いをしなかったことは当事者間に争いがなく、甲第六号証及び弁論の全趣旨によれば、衆議院事務総長緒方信一郎は、原告からの公開質問状に対する回答書において、議員からの法律案の提出には所属会派の機関承認が必要であり、右機関承認のない法律案は受理できないというのが衆議院における確立された先例であり、このことは既に議院運営委員会において会派の機関承認の必要性について協議のうえ確認されているところ、本件法律案については、国会法第五六条所定の賛成者要件は充たしているものの、所属会派の機関承認のないものであるため、衆議院事務局の一存では本件法律案を受理できなかった旨述べていることが認められるから、本件法律案を受理しなかったことが違法でない旨の衆議院としての判断が示されているものと認めるのが相当である。

そうとすれば、当裁判所としては衆議院の右の自律的判断を尊重すべく、本件法律案について受理しないという取扱いについての衆議院の議事手続に関する事実を審理してこれが違法であると判断すべきではなく、右自律的判断を前提として本件請求の当否について判断すれば足りるというべきである。

2  原告は、本件においては、立法機関である国会の構成員としての議員の法律案発議権が衆議院事務局という事務機関によって侵害されたのであり、国民の選挙権自体の存在意義にも関わる問題であって、本件を議院の自律権の範囲内と称することは自律権の濫用であると主張する。

しかしながら、法律案の受理手続が衆議院における議事手続の一環であることは前述したとおりであり、衆議院事務局は衆議院議長の補助機関として議案の受理に関する事務を行っているものであるから(衆議院規則第二八条第一項、議院事務局法第二条、衆議院事務局事務分掌規程第一条第一項第二号及び第三条第三項第一号参照)、衆議院事務局の本件法律案を受理しない取扱いが衆議院としての議事運営の一環として、その自律権の範囲内の事項に属することは明白といわなければならず、原告の右主張は、その前提を欠き失当であるというほかはない。

3  以上の次第で、当裁判所としては、本件においては衆議院事務局が本件法律案を受理しなかったことが違法ではないという衆議院の自律的判断が既に示されている以上、衆議院の右判断をそのまま判断の基礎として裁判せざるを得ず、結局右行為が国家賠償法上違法であると認めることができないことに帰する。

なお、原告は衆議院事務局の行為の違憲をいうが、右行為が違法であることを前提とする右主張は、その前提を欠くものというべきであり、失当であるというほかはない。

第四結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がないから棄却を免れない。よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 魚住庸夫 松藤和博 田中孝一)

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